生活保護とセーフティネット

 先日、生活保護制度についての学習会があり参加しました。
講師は龍谷大学の大友信勝先生でしたが、今、若者から高齢者、男性女性を問わず「貧困」にある人たちの厳しい状況と、それに逆行するような日本の生活保護の実態についてを説得力のある言葉で話されました。
 
話の前提として出されたのは、2006年10月に全国知事会・市長会が出した生活保護制度に関する「新たなセーフティネットの提案」です。これはその後の参議院選挙での自民党大敗により、凍結状態にはなっていますが、国も実施への機会を伺っているようです。
その内容はこれまでの生活保護が憲法25条で保障されている生存権に立つものから、いわゆるアメリカ型の「自助・自立の精神」「個人が貧困と戦う」という社会権に立つ制度への転換で、「有期保護の導入」や労働義務を負わせる「ワークフェアの導入」、「高齢者世帯の分離」などが盛り込まれています。

この提言が出された背景にはもちろん財政的なことがありますが、現在の生活保護受給を「福祉依存」と見るモラルハザードの認識があるといいます。(これは生活保護に限らず、個人のモラルが守られないから制度を厳しくしよう、という動きは最近色々な場面で聞かれます。)
この視点には、現在の貧困がどのような社会的性格を持つのかの実態分析などは全く欠落しています(日本では生活保護の捕捉率調査は全くしていなが、イギリスは95%、ドイツが70%で情報公開もしている)。
特に長期に渡る貧困は、本人を地域社会との関わりを自ら狭めざる得ない状況を作りだし(たとえば冠婚葬祭など)そのことで生きる力や希望もなくしていくのだ、ということへの想像力すら持っていません。更に貧困の世代間継承の問題(教育扶助は中学まで)も大きく、先進国でこんな基準のところはないそうです。

また、生活保護基準を所得が最も低い世帯との比較で引き下げようとの議論もあり、ますます「貧困のわな」が広がることが危惧されます。本来ならばこのような状況に対応するための所得の再配分機能は働かなくなり、この4月から社会保障の負担増は、ますます現在のセーフティネットの危うさを感じさせます。

このような社会福祉政策の貧困が精神障害者の長期入院や自殺者など多くの社会問題の連鎖を引き起こしています。私たちの社会の脆弱さを感じずにはいられません。話は多重債務や障害者の就労の話など、これまで府中ネットが取り上げてきた課題にも繫がり、生活保護制度を通して、改めて今現場で起こっていることの深刻さを感じ、改めて取り組むべき課題だと実感しました。